人はその短く、むなしい命の日を影のように送るのに、何が人のために善であるかを知ることができよう。だれがその身の後に、日の下に何があるであろうかを人に告げることができるか。
あなたがたは、あすのこともわからぬ身なのだ。あなたがたのいのちは、どんなものであるか。あなたがたは、しばしの間あらわれて、たちまち消え行く霧にすぎない。
それで、わたしは見た、人はその働きによって楽しむにこした事はない。これが彼の分だからである。だれが彼をつれていって、その後の、どうなるかを見させることができようか。
彼は花のように咲き出て枯れ、 影のように飛び去って、とどまらない。
人は息にひとしく、 その日は過ぎゆく影にひとしいのです。
しかし悪人には幸福がない。またその命は影のようであって長くは続かない。彼は神の前に恐れをいだかないからである。
後に起る事を知る者はない。どんな事が起るかをだれが彼に告げ得よう。
われわれはただ、きのうからあった者で、 何も知らない、 われわれの世にある日は、影のようなものである。
われわれはあなたの前ではすべての先祖たちのように、旅びとです、寄留者です。われわれの世にある日は影のようで、長くとどまることはできません。
事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である。
その愛も、憎しみも、ねたみも、すでに消えうせて、彼らはもはや日の下に行われるすべての事に、永久にかかわることがない。
わたしの心は知恵をもってわたしを導いているが、わたしは酒をもって自分の肉体を元気づけようと試みた。また、人の子は天が下でその短い一生の間、どんな事をしたら良いかを、見きわめるまでは、愚かな事をしようと試みた。
わたしは夕日の影のように去りゆき、 いなごのように追い払われます。
わたしのよわいは夕暮の日影のようです。 わたしは草のようにしおれました。
しかしわたしは義にあって、み顔を見、 目ざめる時、みかたちを見て、満ち足りるでしょう。
多くの人は言う、 「どうか、わたしたちに良い事が見られるように。 主よ、どうか、み顔の光を わたしたちの上に照されるように」と。
彼の子らは尊くなっても、彼はそれを知らない、 卑しくなっても、それを悟らない。
人よ、彼はさきによい事のなんであるかを あなたに告げられた。 主のあなたに求められることは、 ただ公義をおこない、いつくしみを愛し、 へりくだってあなたの神と共に歩むことではないか。
主よ、人のいのちの、いかに短く、 すべての人の子を、いかにはかなく造られたかを、 みこころにとめてください。
主はその愛されたヤコブの誇を われらの嗣業として、われらのために選ばれた。〔セラ
主はわたしの嗣業、またわたしの杯にうくべきもの。 あなたはわたしの分け前を守られる。
人は食い飲みし、その労苦によって得たもので心を楽しませるより良い事はない。これもまた神の手から出ることを、わたしは見た。
言葉が多ければむなしい事も多い。人になんの益があるか。
わたしはこのむなしい人生において、もろもろの事を見た。そこには義人がその義によって滅びることがあり、悪人がその悪によって長生きすることがある。
日の下で神から賜わったあなたの空なる命の日の間、あなたはその愛する妻と共に楽しく暮すがよい。これはあなたが世にあってうける分、あなたが日の下で労する労苦によって得るものだからである。
愚者は言葉を多くする、 しかし人はだれも後に起ることを知らない。 だれがその身の後に起る事を 告げることができようか。